1973年 第一次オイルショックによる狂乱物価
1970年 大阪万国博覧会が開催され順風満帆の高度成長期
1973年から1974年、第一次オイルショックでは石油・同関連品の需給等により一時的に急激なインフレーションが発生、その様は「狂乱物価」とまでいわれた。
総合卸売物価は1973年で15.6%、1974年で31.4%上昇し、消費者物価指数は1973年で11.7%、1974年で23.2%上昇、1974年の実質GDPは-0.2%となった。春闘での賃上げ率は1973年で20%、1974年で33%上昇した。 この現象を知るのは団塊世代以上の人でオイルショック(石油危機)の恐怖を受けました。当時、中東の原油は何十年で枯渇すると言われました。
1974年戦後復興・高度成長を続けた国民総生産(GDP)が戦後初めてマイナス成長(-0.2%)を記録しました。
しかし、国民は団塊の世代が結婚し団塊二世が生まれ、必死に乗り切る選択をしました。
庶民の心を掴んだダイエー一号店が1958年大阪市旭区千林にオープンしていました。1974年ダイエーにもトイレットペーパーを買いに走りました。オイルショックの狂乱物価の時代、日本は若く活力がみなぎっていました。
この時、一億総活躍社会を実践していたのではと振り返ります。
団塊の世代の結婚で住宅を求める人が増えプレハブ住宅会社が競い合った
戦後生まれの団塊の世代が、結婚して家を持ちたい夢が社会を動かし続けていた。写真のようにパネルを組み合わせたプレハブ住宅がたくさん作られ、高金利の時代でも家を求め続けました。企業は技術を駆使して製品を作り、国内消費と海外輸出への拡大も続けていました。
勤勉に働き続ける日本人は年功序列の終身雇用制度の中で、生活基盤を作り上げ住宅・自動車、家電製品など積極的な消費でGDPを押し上げ成長を続けました。
プレハブ住宅は軽量鉄骨や木柱にパネルを組み合わせて作り上げ、屋根は軽量のスレート屋根で仕上げられました。
断熱材はありましたが今の断熱施工には程遠い素材で施工方法も粗雑でした。
新築住宅が建ち続けると、住宅のメンテナンスや改装・改築の時期が訪れます。多くは住宅ローンを組んでギリギリの生活の中で過ごしているので、過度な改装・改築は後回しになって、雨露がしのげるマイホームに満足していました。
子供の成長する時期に、狭さに耐えきれづに更なるローンで増改築に踏み切ります。リフォームというよりも増改築が主流です。
建設省 財団法人 日本住宅リフォームセンター設立
オイルショックに経済基盤の零弱な中で建設省は内需を支える住宅建設の支援事業のサポートとして1984年に日本住宅リフォームセンターの設立を行っています。
・1985年 住まいのリフォームコンクールを開始 リフォームを国内需要の
起爆剤にすることを考えたと推測されます。
・1985年 アメリカのプラザホテルで先進5か国蔵相(米国・英国・仏
国・独国・日本竹下蔵相)会議でプラザ合意、円が235円~一日で20円/
円高 一年で150円に/ドル 円高ドル安になりました。
・1986年 増改築相談員講習会開始
新築の建築基準法の制度の下で、リフォーム(増改築)は、資格を持たな
い人が関わる危険を取り除くため、10年以上の実務経験者に講習会を開き
テストの合格で認定しています。 新規・更新(5年)の講習会を開催。
・2000年 財団法人住宅リフォーム・紛争処理支援センターに改組
住宅品質確保法に基づき、国土交通大臣より「住宅紛争処理支援センター」に指定、支援等業務を開始
・2000年 一般社団法人 住宅リフォーム推進協議会設立 住宅リフォームを取り巻く環境を整備し、消費者・リフォーム事業者双方
にとって有益かつ健全なリフォーム市場の形成に努める。(住宅リフォーム市場の環境整備と需要喚起)
2000年 一般社団法人 住宅リフォーム推進協議会設立 住宅リフォームを取り巻く環境を整備し、消費者・リフォーム事業者双方
にとって有益かつ健全なリフォーム市場の形成に努める。(住宅リフォーム市場の環境整備と需要喚起)
住まいに関するお客様の思いは千差万別にあり、事業者も多種多様なご要望を的確に判断し対応する必要があると考えています。
進化するネット社会に対応するため、多くの実践者の意向を聞きながらホームページ作成を試みています。